
気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。
久しぶりにアルバムを開くと
あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。
『記憶のなかの風景〈第3幕 三軒茶屋・太子堂 Part1〉』はこちらから
世田谷っ子に愛された「玉電」、三軒茶屋三差路を走る!
「学生時代は路面電車で渋谷まで、毎日通ってましたね」。
写真の中央下、国道246号線の真ん中をさっそうと走るのは「玉電」の愛称で親しまれた東急玉川線の車両だ。
二子玉川園行き(渋谷発)のプレートと運転手の姿がよく見える。
その右手では、向ヶ丘遊園駅行きの小田急バスが玉電を追い越そうとしている。
この通りは昔も今も世田谷の大動脈である。


246号線の拡幅工事決まる。立退き前の商店街のノスタルジー
「子どもの頃、三差路の商店街が一番の遊び場でした」。
写真は玉川通り(国道246号線)沿いに連なる商店街の立退き前の風景だ(左が渋谷方面)。
足元に「玉電」の線路が見える。高度成長期の当時は輸送力が追いつかず、玉川通りと玉電の拡幅工事が決定。
立退きを迫られた商店主たちの意見は割れた。
3年後の東京五輪開催も控え、時代は大きく変わり始めていた。


白黒写真は世田谷区立郷土資料館所蔵
カラー写真は当サイトにて撮影