気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。
久しぶりにアルバムを開くと
あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。
気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。 久しぶりにアルバムを開くと あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。 過去11回にわたってお届けしてきた人気シリーズ「記憶のなかの風景」を、今一度わかりやすくまとめてみました。ぜひご覧いただき郷愁に浸ってもらえたらと思います。...
荒廃した商店街の復興へ、立ち上がった大人たち
昭和49年の阿佐谷パールセンター商店街
「子供の頃でしたが、終戦直後は商店街も荒れ果てていた。何とか復興しようと、阿佐谷の大人たちが立ち上がったことをよく覚えています」。
このまちを代表する最大の商店街といえば「阿佐谷パールセンター」。
その発展の転機となった年が昭和29年でした。
キッカケは「商店街を歩行者専用道路にしてほしい」との要望が住民たちから数多く寄せられたこと。
地元の熱意が実り、昭和29年にはなんと都内で第1号の〝歩行者天国〟が実現したのです。
転機の昭和29年、阿佐谷の代名詞「七夕まつり」始まる
いま東京7大祭りの一つとして有名な「阿佐谷七夕まつり」も、始まったのが昭和29年でした。
ハリボテのような物を吊り上げる演出は第1回目から見られ、手作りの個性的な造形物が練り歩く阿佐谷独自のスタイルを次第に確立していきます。
昭和31年のパールセンター、初代若乃花の優勝パレードに沸く!
昭和31年の5月場所で初優勝した初代若乃花(阿佐谷の花籠部屋所属)が、地元のパールセンターで凱旋パレード。
若乃花のオープンカーが通った青梅街道には数10万もの人が集まり、路上を走る都電が立ち往生したほどでした。
最近の杉並区役所前の青梅街道
最近の阿佐谷パールセンター商店街
気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。 久しぶりにアルバムを開くと あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。 「東京五輪の聖火リレー、青梅街道を走る!」 昭和39年10月 『もう半世紀も経つけど、阿佐谷に“聖火”がやって来たのをよく覚えています』 そう話す年輩の人...
昭和56年、中杉通り(都道133号線)の延伸・開通を祝う!
都内有数の〝ケヤキ並木〟で知られる阿佐谷のメインストリート「中杉通り」。
ケヤキの植樹が地元有志のボランティアで始まったのも戦後の転機の年、昭和28~29年でした。
昭和57年、新緑の中杉通り
時を経て約30年後の昭和56年、中杉通りは北側(阿佐ヶ谷駅~早稲田通り)が晴れて開通し、現在の阿佐谷エリアの骨格が形成されました。
最近の中杉通り
※モノクロ写真は杉並区立郷土博物館所蔵、昭和31年と49年の写真2点は阿佐谷パールセンター所蔵。カラー写真は当サイトにて撮影