気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。
久しぶりにアルバムを開くと
あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。
「東京五輪の聖火リレー、青梅街道を走る!」
『もう半世紀も経つけど、阿佐谷に“聖火”がやって来たのをよく覚えています』
そう話す年輩の人たちは少なくない。
五輪の開催前夜で日本中がわきかえっていた頃、2台の白バイに守られながら一人のランナーが片手に聖火を掲げ、青梅街道を駆け抜けた。
戦後日本の復興を象徴した五輪の聖火に、苦しかった生活を思い、涙ぐむ人たちを見かけた日だった。
「都電杉並線、荻窪駅へ青梅街道をゆく最後の日」
『毎日会社まであの電車に乗っていましたね』
新宿駅発・荻窪駅行きの路面電車が、渋滞する道路の上を窮屈そうに走っている。
五輪開催の1年前、地下鉄丸ノ内線の開通を機に、杉並線の路線は廃止。
この7年後、新宿を起点とする都電はすべて姿を消した。
「パールセンター商店街、アーチ型街路灯の完成に沸く」
『あの日は誇らしい気分でしたね』
青梅街道寄りの商店街入口。右の立て看板に「祝 ネオン街路灯落成」の文字が見える。
看板上部の半円形がビザンチン式のネオン燈。
阿佐ヶ谷駅までの通りには45基のアーチ型街路灯を設置し、都から優良商店街として表彰された。
この後まもなくパールセンターに名を改め、9年後都内有数の大型アーケードが晴れて完成した。
下の写真は平成29年の同じ場所。
「昭和30年代 正月の獅子舞〈ししまい〉」
「正月のパールセンターで「獅子舞」を見つめる子どもたち」
「昭和30年代 祭礼の風景 子ども神輿〈みこし〉」
『子どもの頃は、商店街のお祭りが一番の楽しみでした』
昭和30年代はパールセンターが大きな飛躍を遂げた時代だ。
阿佐谷を代表する七夕まつりが29年に誕生。
30年代に高度経済成長が始まると、住宅地として発展し賑わいを増していった。
白黒写真は、聖火リレーと都電が杉並区立郷土博物館所蔵、商店街4点が阿佐谷パールセンター商店街所蔵
カラー写真は、プラスライフ記者撮影
文豪・太宰 治が愛したまち 三鷹 太宰は昭和14年から三鷹・下連雀で暮らし始め、昭和23年までの9年間、この地で過ごしました。その間、あまりにも有名な「走れメロス」「斜陽」「人間失格」などの名作を世に送り出し、三鷹のまちや生活を描写した作品も少なくありません。 ...