
気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。
久しぶりにアルバムを開くと
あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。
練馬駅南口―昭和30年夏のひとコマ、水をまいた路面を行きかう人々
「やわらかでモダンな駅舎は、練馬の人たちの自慢でしたね」。
昭和30年の西武池袋線・練馬駅(練馬区)の風景だ。
右手に西武園の案内板、左手にパーマやトケイ・メガネ、洋装寝具の看板が見える。中央奥には西武バスが停車している。
ジョウロを手に持つ左側の女性が、照りつける真夏の路面に水をまいている様子がうかがえる。
戦後10年の東京ではまだこんな、のどかな光景を見かけたものである。

昭和30年夏の練馬駅南口

現在の練馬駅南口
交通戦争が深刻だった昭和40年代、喧騒の「練馬の大踏切」
「あの開かずの踏切は評判悪かったね」。
ここは昭和40年代の練馬駅の西側(中村橋駅寄り)、地元ではもっぱら「大踏切」と呼ばれていた。
人気のレジャー施設・豊島園に向かう車(手前)と豊島園方面から来た車(上)のいずれもが、踏切で立ち往生している。
池袋線は平成13年に高架化が完了したことで、現在は渋滞が解消されているが(カラー写真)、こうした大行列は長年、練馬らしさの一つでもあった。
もう一つ気になるのが、右手に見える「フルーツ八百徳」の高い看板だ。今はもう閉店したが、かつては地元で人気の青果店だった。懐かしい練馬のまちのワンシーンである。

昭和40年代の「練馬の大踏切」

現在の同所
写真はすべて「練馬区」提供