
昭和35年の吉祥寺スバル座(写真右手)。この当時もサブカルチャー発信地として、なんと10館もの映画館が営業していた
気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。
久しぶりにアルバムを開くと
あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。
時代を超え、私たちをワクワクさせる〝サブカルチャー発信地〟
JR中央線の車窓から、前進座の看板が見えるのはご存じでしたか。
戦前の昭和12年からこの地に根を下ろしている名だたる劇団です。
吉祥寺は古くからの演劇のまちとしてその名を知られています。
昭和60年、世界的なアニメ製作会社スタジオジブリが産声を上げたのが吉祥寺でした。
ヒット作「海がきこえる」では吉祥寺の駅舎が描かれています。
もう一つ、プロの漫画家が意外と多く住んでいるのがこのまちです。
吉祥寺を舞台とする漫画作品がしばしば見られるのもうなずけます。
一方、街なかでよく見かけるのがこぢんまりとしたジャズ喫茶やライブハウスですね。
ジャズやロック、フォークなどの音楽のまちといったイメージもすっかり定着しています。
まさしく〝サブカルチャーの発信地〟。
いつの時代も私たちを何かとワクワクさせてくれる吉祥寺です。
昭和28年の通学風景。70代の世代は子どもの頃、笑顔が輝いていた!

昭和28年の平和通り
昭和28年、商店が連なる平和通り(吉祥寺駅北口前)の一角。
制服を身に着けて通学する子どもたちの姿が見える。
笑い声まで聞こえてきそうな、ほほえましい光景だ。
いま70代くらいの方々の貴重な子ども時代の一枚である。
道の両側には、大滝洋傘店や質の大倉といった商店の看板が見える。
写真右手のあたりがハモニカ横丁と思われる。
古き良き昭和時代のひとコマである。

現在の同所
のどかな昭和28年の公園通りの四つ角、いまユニクロで賑わう

昭和28年の公園通り(現在、ユニクロが建つ場所)
平和通りから交差点をはさみ、中道通りを望む昭和28年10月の風景だ。
(左右の通りは公園通り。左方向が井の頭公園)
現在は車と人の往来が激しい一帯だが、当時はまだのどかな住宅地といった風情である。
四つ角の建物には「寿司 喫茶 中家」の文字が見える。
時代が移るとともに、この建物は旧・三和銀行に変わった後、現在はビルに建て替えられ、ユニクロが店舗を構えている。

現在の同所
クリスマス商戦真っただ中、ごった返す昭和33年のダイヤ街

昭和33年のダイヤ街
昭和33年12月、クリスマス商戦真っただ中の「吉祥寺チェリーナード」(当時の名称、現在はダイヤ街)。
年の瀬の買い物客でごった返していた。
右手の山形屋の店舗は、今も輪郭が変わらないことに驚かされる。

現在の同所
モノクロ写真は武蔵野市所蔵(カラーは当サイト編集部が撮影)