気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。
久しぶりにアルバムを開くと
あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。
豊かさを夢見た時代、活気づく三軒茶屋銀座通り(茶沢通り)
「親がオルガンを買ってくれたときは嬉しかったなぁ」楽器店の看板の文字〝山葉〟が懐かしい。この年の2年前にヤマハ音楽教室が開業し、オルガンやピアノが一般家庭に普及し始めた。高度経済成長期に入り、将来の豊かな生活を夢見ることのできた時代だった。写真の茶沢通りの路上に、三輪の軽自動車も見える。記憶の中の一コマがここにあった。
東急世田谷線・西太子堂駅に停まる、車両の”ペコちゃん”
「地元のみんなに愛されていたね」まだ東急下高井戸線という路線名だった当時、丸みを帯びて可愛らしい車両(デハ200形)は”ペコちゃん”や ”タルゴ”の愛称で親しまれていた。写真は上町駅行きの電車。昔も今も世田谷っ子の生活に、なくてはならない相棒だ。
細い路地を歩く着物姿の男性。古き良き正月の風情がいい
「お正月は男も着物で出かけていたから、風情があったかな」西太子堂駅から北寄りの住宅地。細い路地の右に、着物姿の男性がいる。写真左の家屋の戸には、しめ縄飾りも見える。あの時代の正月らしいおごそかな雰囲気が感じられていい。一番奥に写っているのは、世田谷線のホームの柵。そんな路面電車のある穏やかな太子堂の風景ー。今もなお、変わっていない。
映画産業の最盛期に写る、三軒茶屋シネマ(左)と中央劇場(奥)
「週末はいつも映画館で過ごしてたよ」昭和33年、映画の観客動員数が11億人超と最高を記録。娯楽といえば映画だった。しかしTVの普及と共に衰退する。かつて三軒茶屋には5つの映画館があったが、平成26年に最後の1軒が閉館し、全て姿を消した。
白黒写真は世田谷区立郷土資料館所蔵
カラー写真は当サイトにて撮影
八幡山の緑豊かな自然と多彩な街の環境が日々の暮らしに潤いをもたらす グランドマスト八幡山周辺は、日々の暮らしをサポートする買い物に便利な商業施設が揃い、飲食店も豊富に点在しており、徒歩圏内には、暮らしにゆとりを与えてくれる緑豊かな公園や、区役所や図書館・医療施設などもあり、充実し整った環境です...