気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。
久しぶりにアルバムを開くと
あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。
戦後14年の新宿駅東口。小店舗が雑然と連なり、闇市のなごり残す
「まだ終戦直後のなごりを残していた時代だったね」。
新宿アルタ(当時は二幸食品店)の屋上から眺める東口の光景だ。
今も変わらないのは伊勢丹、中村屋。タカノフルーツパーラーの手前(現在ビックカメラ)には闇市の尾津マーケットの小店舗が軒を連ねる。
駅前の好立地ながら雑然とした雰囲気が印象的だ。
この頃、新宿はまだ復興の途上にあった。
歓楽街・歌舞伎町の原風景。親子連れも行きかう庶民の街だった
「親に連れられて、家族で食事したのが懐かしいな」。
日本一の歓楽街、一番街や区役所通りのある歌舞伎町1丁目の原風景だ。靖国通りから北に上がると、車も入れない狭い路地に飲食店がひしめいていた。
寿司に天ぷら、中華料理、焼き鳥酒場、甘味喫茶の看板も見える。住宅地の飲食街と変わらないのどかさ。
まだ子ども連れの主婦も安心できる庶民の街だった。
加山雄三の若大将に憧れ、コマ劇に通ったあの頃
「りりしい加山雄三の若大将に憧れていたね」。
いま実物大のゴジラが話題の東宝ビル。
10年前までそこには、歌舞伎町のシンボル・コマ劇場があった。写真はオープン翌年の風景だ。
地下の東宝の映画館では若大将やゴジラなどが上映され、連日熱気にあふれていた。
フォークソング集会も流行、40年代に輝いた若者文化
「若者たちが輝いていた時代だった」。新宿通りで歩行者天国が始まった日の三丁目の風景。
好景気に沸いた40年代、西口立体広場や百貨店ができた新宿駅周辺に人々が集まり始め、フォークソング集会やフーテン族など若者文化が華開いた。
写真は、新宿区立新宿歴史博物館所蔵