気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。
久しぶりにアルバムを開くと
あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。
気がつけば、街の風景もすっかり変わってしまった。 久しぶりにアルバムを開くと あの頃の時代と記憶が鮮やかによみがえってくる。 過去11回にわたってお届けしてきた人気シリーズ「記憶のなかの風景」を、今一度わかりやすくまとめてみました。ぜひご覧いただき郷愁に浸ってもらえたらと思います。...
歩行者天国が華やかにスタート! 垣間見えた、安保闘争時代の光と影
1970(昭和45)年8月2日の新宿駅東口界隈。この日は歩行者天国が始まった記念すべき日だ。
警視総監によるテープカットの式典で、〝ホコ天〟は華々しく幕を開けた。
自動車事故の急増が社会問題になっていたこの年、都心の歩行者天国は新宿のほかに銀座、池袋、浅草でも始まった。
写真は紀伊國屋書店のすぐ前から三越デパート(現在はビックロ)の方角を写した1枚だ。
街頭では左翼のセクトが8.4政治集会のビラを配り、参加を呼びかけていた(写真右)。
この時代は高度経済成長に沸いた明るい世相の一方で、70年安保闘争という政治的・思想的な対立の渦中にもあった。
映画全盛期の昭和30年代、待望の〝映画館の街〟ができた!
「ミラノ座のビルの中にはスケートリンクもあったんですよ」
1958(昭和33)年、歌舞伎町の映画館街にあるミラノ座の夜のひと時だ。
この頃、グランドオデオン座や新宿劇場といった映画館が、中央広場を取り囲むように続々とオープンした。
歌舞伎町が「歓楽街」として発展していくのはこの時からである。
やがて昭和40年代に入ると、新宿には多くの若者たちが集まり始めた。
ベトナム反戦のフォークソング集会やフーテン族の出現など、若者文化がこの地で華を開く。
現在の渋谷さながら、「ヤングの街」と呼ばれるようになっていた。
高度成長期の真っただ中、西新宿に巨大ビジネス街誕生!
「70年代は新しい時代が来たように感じましたね」
建設工事のつち音が響く1970(昭和45)年3月の西新宿。
当時日本一高かった京王プラザホテル(178m、47階建て)が翌年の開業に向け、堂々たる姿を現わし始めていた(超高層ビル第1号)。
高度経済成長を成し遂げた日本はこの2年前、GDP世界第2位の経済大国に躍り出た。
そんな1970年代の西新宿ではわずか10年の間に、新宿住友ビルをはじめ200m前後の超高層ビルが次々と(約6棟)建設され、巨大なビジネス街を形成。やがて「新都心」や「副都心」と呼ばれるようになる。
70年代初頭のこの時、新宿のまちは大きく変貌を遂げようとしていた。
戦後の復興を象徴する東京オリンピック、昭和39年10月10日開会!
白黒写真は「新宿区立新宿歴史博物館」所蔵(カラーは弊社編集部撮影)